「デットエンドの思い出」よしもとばなな著を読む

デッドエンドの思い出 よしもとばなな著
2003年 文藝春秋

ばななさんの小説、なにか引き付けられるように
今週も「デットエンドの思い出」を読んでいました。

「あとがき」のP228にもあるように

この短編集はわたしにとって「どうして自分は今、自分のいちばん苦手でつらいことを書いているのだろう?」と思わせながらかいたものです。つらく切ないラブストーリーばかりです

5つの短編が集められた
どれもがどうしようもなく、悲しい物語。

「おかあさーん!」より P125
なんで、あの事件は起きたのだろうか、と私はよく思う。
今思うとあの日のことは全てがあっという間で、どうやっても止めることはできなかったように思う。
いつのまにか、魔法のようになりゆきが進んでしまった感じだった。それで、終わってみても大変だったのかそうでなかったのか、おかしな夢を見ていたようで、なんだかよくわからないままだ。

ここ数年の事を振り返ると
自分も大きなうねりの中で
染めが出来ない日々が続いていました。

どうしようもない時って
否応なしにやってきて
すごい存在感で身動きとれない
かなしばりのようで。

P127
そして、いつかの時に別れていった人たちのために祈りをささげる。
ほんとうは別のかたちでいっしょに過ごせたかもしれないのに、どうしてだかうまく行かなかった人たち。本当の父と母、昔の恋人、別れていった友達たち、もしかしたら、そこには山添さんとの縁も、含まれているかもしれない。
この世の中に、あの会いかたで出会ってしまったがゆえに、私とその人たちはどうやってもうまくいかなかった。
でもどこか遠くの、深い深い世界で、きっときれいな水辺のところで、私たちはほほえみあい、ただ優しくしあい、いい時間をすごしているに違いない、そういうふうに思うのだ。

不思議な事に
うまく行くときは、何かに導かれるようにグイグイ進むし
ダメなときは、どんだけもがいてもうまくいかないし
偶然に会える人もいるし、
なんとなく離れていって会えない人もいるし。

「デッドエンドの思い出」より P211
家族とか、仕事とか、友達だとか、婚約者とかなんとかいうものは、自分に眠るそうした恐ろしいほうの色彩から自分をまもるためにはりめぐらされた蜘蛛の巣のようなものなんだな、と思った。そのネットがたくさんあるほど、下に落ちなくてすむし、うまくすれば下があることなんて気づかないで一生を終えることだってできる。

「染める」という作業は
自分の気力と体力はもちろんの事
いろいろな人やモノに協力いただかないと出来ない作業で、
業が深い、とでもいうのかな
だから、ちゃんと認識しておかないと
染め上りに、いろんな雑念も入り込んでしまう

P213
よく昔、夜空を見上げながら、死ぬとかいきるとか、どういう人生を送りたいだとか、意味もなく大きなことをかんがえたものだった。星がきらきらして、夜空はどこまでも遠かった。あの時の風の冷たさだとか、茫洋と広がっていく未来だとか、ふるさとの町を覆う潮の香りだとか、あの感じが、私によみがえってきていた。

これってオザケンの歌の世界と同じだ
「ナーンにも見えない夜空仰向けで見てた そっと手をのばせば僕らは手をつなげたさけどそんな時はすぎて 大人になりずいぶん経つ」

P226
あの日々は、どうしようもない気持ちだった私に神様がふわっとかけてくれた毛布のように、たまたま訪れたものだった。

この感じって、先週読んだ「ハゴロモ」とシンクロしてる

何度かドラえもんの、のび太とドラえもんが
おやつのどら焼きを食べるシーンが紹介されます。
この時計とこのデザインって、イメージぴったりですね。

P227
きっとそれは私の心の中の宝箱のようなものにおさめられ、どういう設定でみたのか、どんな気持ちだったのかすっかり忘れ去られても、私が死ぬときに幸福の象徴としてきっときらきらと私を迎えに来る輝かしい光景のひとつになるだろう、と思った。

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「ハゴロモ」よしもとばなな著を読む

先週に続きばななさんを読んでみました。
2018年もあっという間に1月は過ぎてゆき31日には
「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」と呼ばれる満月の月食があり


手ぶれしてますが「赤い光の月」

2月になって、雪が降り、天赦日があり、節分を迎える
今週はいろんな切替のスイッチがオンになるような日々でした。

ハゴロモ よしもとばなな著
新潮社 発行2003年

そんな日々にこの小説を読む偶然の不思議。
読み終わって、このタイトルって何処から?
気になって読み返したら、きっとこのページですね

p53
人の、意図しない優しさは、さりげない言葉の数々は、羽衣なのだと私は思った。いつのまにかふわっと包まれ、今まで自分をしばっていた重く苦しい重力からふいに解き放たれ、魂が宙に気持ちよく浮いている。


そうか。このカバーデザインも
そんな意図があったんだ、きっと
カバーデザイン・増子由美

P100
夕方に向かって、太陽の光は最後の勢いを発散させ、その恵みのもとで人々は営みを続ける。きっと大昔、巨大な川のまわりで文明がおこった時代からずっと、そうなのだ。太陽が東からやってきて、夕方金の馬車で西に去っていくまで、人々はそのエネルギーを一身に受けて、生き続けていく。その単純な流れの中にはありとあらゆる側面がひしめきあって、生命の力はよどんだり、ちぎれたり、ぶつかったり、沈んだり、大きなうねりをうみだしている。


東京湾を渡るフェリーから撮影した夕日。
このときも、刻一刻と変化する夕日と水面に揺れるような光の道を眺めて
過去と未来と彼岸と此岸を感じました。

たまたま今朝の朝刊にも
あかね色に染まる「光の道」というタイトルで
宮地嶽神社参道からの夕日が特集されていて
人類にとって普遍的なモノなんですね。改めて実感。

うわっ、何てこった、検索してたら
YUIの『Muffler』 って曲に歌われていたんですね
しかも知らない曲だ。。アルバムに入ってない曲でしょ、

びっくりしました。。。

「ハゴロモ」に戻ります。

P142
人間は、絶対に無理をしてはいけないっていつでも言っていた。無理が全ての悪いことを生み出すんだって、口癖みたいに言っていました。

物語は都会での失恋で落ち込んだほたるが
地元、川のある街に戻り
懐かしい人々を通して解放されていく物語

P155
自然との感応はまるでいいセックスのようなものだ。大きな力に飲み込まれ、そこここに、例えば桜のつぼみの形だとか、葦の葉のすっとした直線だとか、石のまわりによどむちょっとした流れだとか、そういうところに官能的なラインが常に秘められている。それを目がいつのまにかながめては、すっかり満たされている。

ばななさんの文章って
コトバの組み合わせで、ふわっとした感情や捉えどころのない思いを
すくい上げて浮き立たせる、不思議な魔法の様な文章ですね

P167
「いらない、もう必要なくなった」そういうはっきりした言葉を言われないまま、愛する人に、東京でのたったひとつのつながりだったもの全てに、ぽいと放り出されたみなしごだった私の心を、そういった言葉たちはここに来てからいつでも、ほっこりと、ふわりと包み続けた。

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「王国」よしもとばなな著を読む

王国 その1 アンドロメダハイツ
王国 その2 痛み、失われたものの影、そして魔法
よしもとばなな著 新潮社 2002年初版発行

図書館に行ったとき
なんとなく惹かれて借りた本
久しぶりにばななさんの世界に触れて
読み終わった余韻が気持ちよくて
こんなに寒い日がつづき
ちょっとカサカサのハートに
染み込んで来たフレーズを書き留めておきます

人里離れた山奥で
薬草茶を処方するように作ってきたおばあさんと
雫石という孫娘が、山から離れ
別々の生活で様々な人々と出会うストーリー。

タイトル見たとき、その2を読みたくて借りたけど
ほとんどがその1に詰まっていました

その1 P23
「神様が何かをしたくてもあっちには言葉がないから伝えられないでしょう?
だから私みたいな人が代理で働いているだけで、私が何かをしているわけではないんだよ。そしてすべての仕事は本来そういうものなんだよ。」

おばあさんのコトバ。

人がいるところには必ず、最低のものもあるけど
最高のものもある。

作中にはいろんな植物、特にサボテンが登場します
おじいちゃんの書斎で咲いていた「竜神木」
主人公の名前にもなった「雫石」
サボテン公園にも行ってみたくなる

その2

 P32
大きな、ほんとうの目で見れば自分のしたことは絶対に消せないし、今までしてきた仕事や生活の型は必ず体のまわりに残ってしまうものだから、やりなおすということは厳密にはとてもむずかしい。だからできればなにごとも慎重にやるべきなのだ。自分のまわりはこれまでしてきたことや失敗したことやごまかしてきたことが、ぼんやりと層を作ってその人の輪郭をぼやけさせたりする。

そして人間をじっと観察した結果、人間というものは浅い、痛みのない生活を求めながらも、深いところでそれにやっぱり抵抗するものだというように思えた。だからこそ、私はまた仙人めいた暮らしに戻ることもせず、友達や恋人のいるここにい続けることにしたのだろう。

P63
「そうやって扱われたものには、そういう荒っぽい色がついてしまう。そして、一回つくとなかなか取れなくなって、人のほうがそれに操られるまでに力を持ってしまう。はじめのところが肝心なんだよ。」

染裕もつくづく思っています
染める前に生地を大切に扱わないと、そこの記憶も一緒に染まってしまうって。
染の作業場って散らかっててお恥ずかしい状態なのですが
腕の良い職人は作業場が綺麗で動きが無駄なく美しいんです。。。
液や生地っていろんな事を記憶していくんです。

しばらくは、、、
染めをする前の準備だとか、作業場の片付けとか
自分の気持ちの整理が必要で
「染める」という行為から距離を置いてみようと思っています。

P127
きっと心の目で見れば、人間の世界はいつだってこんなふうなのだ。真っ暗な宇宙世界に、ものすごい数の人間の光がただよい、つながりあい、光っている。ここには生死の区別もなく、大地も空もない。時間というものも存在しない。でも光がある。そのくらいに人間の光は強いものなのだ。

なんとなく、の、感じを
言葉にすくいあげるばななさんの文章は
ストレートにしみ込んできました。

P128
ああ、なんと愛しいことだろう、それぞれ違っているからこそ。そして、私はこの人生でもっとたくさんの光たちとまた触れ合っていくのだ。生きているかぎり、出会いと別れは続く。会う人みんなをどこかしらでは知っている。

さらに漕ぎ出していけよ、私よ。新しい日常の中に、この小さな光をもって。

このタイミングでこの本に出会えた事を
本当にうれしく思いました。


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ネクタイ締めて陶芸する人「川喜田半泥子」に憧れる

日経新聞2016年6月26日美の美より
ネクタイ姿で作陶する川喜田半泥子 2016年6月26日 日経新聞 美の美 より

先月の日経新聞、美と美に特集された
川喜田半泥子(かわきたはんでいし)
何年も前に、この写真を見て、染裕は憧れていました。
自分もネクタイ締めて藍染する人になりたいなぁ。と

紺屋(藍染屋)のことわざにも、
「紺屋の白袴」というのがあって、いろいろと言われてますが
・忙しくて自分の着る物を染める余裕がない
・白い袴を汚さない程の達人
染裕解釈だと後の方がよりわかる感じがします。

白袴をネクタイに変えて例えると、気持ちが違うんですよね
さすがにこの時期はクールビズでネクタイは外しますが。

紙面のコトバ、少しご紹介します。

頭取の土遊び
ただ無心に土をいじり、ろくろを廻した。割れても欠けてもいいじゃないか。奔放に土と遊んだ銀行頭取、いやはや「でかしたもの」をつくったぞ。

泥むと書いて、なずむと読む。いろいろな意味があるが、ここでは没頭するの意。半ば泥みて半ば泥まず。没頭し、どろんこになりながら、なお冷静に自己を見つめなさい。 人生の後半、勤めのある日は朝晩、勤めがなければ日がな一日、半泥子は泥いじりに泥んだ。泥んで泥んで、泥む自分からも離れて、、、

ろくろを教わるのが46歳、陶芸に本格的に取り組むのはその10年後の事。遅咲きのアマチュア恐るべし。形式ばった事を嫌い、土の自然にまかせあるがまま。

「無茶苦茶につくる茶碗の無茶法師
それで飲む人茶茶無茶苦茶」

半泥子は茶の湯をたしなみ、茶室も造ったが、茶人転じて無茶人となった。形式ばった茶を嫌う無茶人は、好きなテニスを終えたあとそのままの格好で茶をたてた。

魯山人と9時間半、お互いにあごがだるくなるまで、しゃべり通した。天狗と無茶法師は以下の点で一致する。作品のよしあしは技術より人格の現れだ。昔のイイ焼き物は土も釉薬も自然の産物だから自然の味が出る。焼き物は日本が世界一。玉、古銭に興味無なし。茶道はイイものだが、誤り伝える「茶人型」はイヤ–などなど。

僕も思います。作品は陶芸でも染織でも絵画でも、人格の現れだと。
そして小津監督のこんな言葉を思い出しました。
「人間はすこしくらい品行は悪くてもよいが、品性は良くなければいけないよ。」

頭領の土遊び 川喜田半泥子
日経新聞2016年6月26日
美の美 より

叶わない願いですが、魯山人と川喜田半泥子と染裕で飲食いしながら「藍染について」談義してみたい。
きっと鼻でわらって会話してもらえないか、
ついてこれるか?って潰れるまで飲まされるかな。

座右の銘とした「泥多仏大」
泥多ければ仏大なり。大仏様は土で型をつくり、そのまわりにも土の壁を築き、隙間にとけた銅を流し込んで成形する。泥が多いほど仏様が大きくなる、人間もまた同じじゃないか。

最後に、翌週の日経『美の美」に紹介されていた一文で締めます

「真の芸術と真の事業とは、その美、その創作、その努力において相一致し、その尊厳さと強さにおいて相譲らざるものである

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サマーソング特集!

毎日いろんな事がめまぐるしく過ぎて行って
多分、いろんな事を忘れてしまうんだろうなぁ。
スケッチブックには次から次へと、
新しい構想のアウトラインが
描かれては、書き直しての繰返。

先日、撮影した2016年の新作
「想い出の夏へ出かけよう」
いろいろなイメージソースから生まれました。

忘れないうちに、、今回は音楽特集で
「somehiro radio show サマーソング特集!」
と題してお送りします。
僕はこんな曲から影響を受けて制作のイメージを膨らましました。

まず1曲目ははこちら!

スピッツ「青い車」
〜潮の匂いが染込んだ真夏の風を吸い込めば
心の落書きも踊りだすかもね〜

今回の制作のメインテーマソングです
スピッツって実はリアルタイムでそんなに追っかけてなかったんですが、、
(当時はブルーハーツ派でした。)
この曲はなんか好きだった。


2曲目はこちら

「水中メガネ」
作詞:松本隆 作曲:草野正宗
〜水中メガネで記憶へ潜ろう〜

松本隆さんにしてはエッジの効きまくった歌詞!
謎めいた曲調と不思議感タプリのChappie。記憶に焼き付いてます。


3曲目

The Flipper’s Guitar 「wild wild summer」

オザケンに夢中になってから溯って聞いたフリッパーズギター!
ポップなパンチが効いてます。


4曲目

ゆず「夏色」

なんかもう、夏の大定番ソングですね。ガリガリ君食べたくなる、みたいに夏になったら聞きたくなります。
ちょとくどいけど、ライブ版。


5曲目

SKE48「不器用太陽」

歌ってる人たち。。大嫌いなんですけど、、、(笑)
ラジオから流れて来たこの曲、不器用と太陽をくっつけた感性
すごい組み合わせだなぁ。言葉のセンスが。世界観が。

次のからの曲は、ちょっと「夏」イメージ薄いですが
創作中やテーマのベースになってる曲です。


6曲目

どんと(BO GUMBOS)「トンネルぬけて」

どうしても聞きたくなってしまいます。ときどきだけど。
この人、すっごく突抜すぎてたんですよね、きっと。


7曲目

大貫妙子「懐かしい未来」

これは染裕2016制作テーマ
「新しい過去」を見つけたら「懐かしい未来」の扉が開く
の元ネタになった曲です。FMラジオ番組のエンディングソングだった曲。


8曲目

原田知世「シンシア」

元のアレンジも良いです。PVも良いですが、ボサノババージョンで。
この方の楽曲からは多大な影響うけています。
実はこの曲から生まれたシャツもありました。
夏の季節だと「Double Rainbow」紹介したかったのですが、見つからずで。


そして9曲目

yui「summer song」
~ 真っ赤なブルーだ! ~

ホントは本当は、この曲から始まったんです。いろんな構想が。
(フルバージョンで見れないのが残念ですが)
染裕キャッチコピーもはじめは「夏が来るから海に行こうよ」
だったのですが、あまりにもそのまんまで、ダメじゃん、みたいな指摘受けて
急遽変えました。でもホントはこれなんです。うん、yuiってすごい。
クリエイターとして尊敬します。これからも期待してます。FLOWER FLOWER

これ、ほとんど自分用の投稿です(笑)
順番に聞きながらスケッチブックに落書きしたい。
又は、身内メンバーでお酒飲みながら創作秘話話したい。
そんな曲たちです。

今年の夏の白浜での展示
イメージしていたらどうしても聞きたくなっちゃいました。

「JR東日本 房総ビューエクスプレス 」CM
~ 潮風が呼んでいる… ~

ああ、すごいなぁ。想い出の夏だ、
僕にとっても愛おしい想い出のCM。キョンキョンとオザケン!
なんかホントに楽しみになってきたなぁ。今年の夏の白浜美術館での展示。


あらためて、みんな邦楽ですね。
僕にとっては「言葉」の組み合わせも重要で
なかなか洋楽が入ってくれませんでした。


それでは、エンディングはこちらで

小沢健二「甘夏組曲」
〜いつか手に入れたいな 魔法の力
君が僕にちょっと振り向いてくれるようにね〜

もう幻の曲ですね、これ。ちょっと音質が残念ですが
オザケンファンとしては今からでもリリースして頂きたい。
さっきのCMソングとこの曲。
現在ツアー中で新曲のリリースも楽しみですね。
何かの謎掛けで、「魔法的」。アンサーソングのようだなぁ。


さてさて、いよいよこれから夏本番ですね〜
新作で染めたシャツやブラウス、どなたかに気に入って頂き
今年の夏の日、ご一緒の時を過ごせたら、
それが素敵な想い出の日になれたらいいなぁ、
なんて思いながら日々染めをしています。

そんな染めが生まれるイメージソースになった曲たちでした!
うん、これ聞きながら、また新しい表現を模索します。
まだ、関東では梅雨も明けていませんが
今年の夏は素敵な日々をお過ごし下さい。
染裕でした。(ラジオのエンディング風に)

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