読書忘備録_20180908

『いねむり先生』 伊集院静 著
先日の「琥珀の夢」につづき読んでみました。
いねむり先生とは、色川武大という実在の人物らしく、
ギャンブルやお酒の日々を綴った自伝的小説。

P56
「芸人というのはそういうものです。皆が皆、生きてるうちに咲くわけではありませんから、散り方を会得するんでしょう。粋というもんより、むしろ気障を連中は好むんです。芸人の性というのは、あれで恰好はいいんですね」

P57
「フレッド・アステアの動きには無駄なものがないんです。計算をしてなくてですから、それが傷になっているように私には思えます。どこかで崩れがないとバランスがとれない気がします。その点、いっときの浅草軽演劇もそうですが、アメリカでもB級と呼ばれているスラップスティックの作品は観ていて飽きがきませんね…..」

P168
「漁師が船べりに立って汐目を読むように、ギャンブルも汐目が、流れが読めないとね。出と引っ込みが半端じゃ、泥舟になってずるずると沈むだけだ。それが一番悪い。出の時はなり振りかまわず突進して、流れがないなら、そこはきちんと引っ込むことに徹しないとね」

P292
在る人に言わせると、この因縁というものが人と人を逢わせ、別離させるのだという。家族というのも因縁が濃いだけで特別のものと考えなくていいという。大概の人は因縁の濃淡にこだわりしがらみをつくって、それに縛られているらしい。 二年前、ボクは人間関係を拒絶しようと決め、それに徹していた。それまでの付き合いを捨ててしまうと、これが想像以上に楽で、物事の基準が明確になる。人に依ることを断ち切れば、野球でいる守備範囲を狭くした分、余計な動きをしなくてすむ。

P344
『リズムですよ。正常なリズムで過ごしているから人間は普通に生きていられるんです』

P346
“自分のどこかがこわれている、と思い出したのはその頃からだった。漠然と感じる世間というものがそのとおりのものだとすれば、自分は普通ではない。他人もそうなのかどうかわからない。他人は他人で、ちがうこわれかたをしているのか、いないのか、それもよくわからない”


「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ著
この物語はどこまでが実在なんだろう。
少しだけストーリーを知ってから読み進めたので、途中辛かった。
キーワードだけ書き留めておきます
・ヘールシャム
・「夜に聞く歌」ジュディ・ブリッジウォーター


紙つなげ!彼らが本の紙を造っている
再生・日本製紙石巻工場 佐々涼子著
いろんな偶然で読んだ本。

P145
「文庫ひとつ取っても、いろんな人が考えて作ってるんですよ。文庫っていうのはね、みんな色が違うんです。講談社が若干黄色、角川が赤くて、新潮社がめっちゃ赤、普段はざっくり白いというイメージしかないかもしれないけど、出版社は文庫の色に『これが俺たちの色だ』っていう強い誇りを持っているんです。特に角川の赤は特徴的でね、角川オレンジとでもいうんでしょうか」

LINEで送る
Pocket

2018多摩美神奈川支部展終了

今年は事前準備が十分にできず、搬入日ギリギリで間に合わせた展示でした。
終わってしまえば、今年もあっという間だった多摩美神奈川支部展
忘れてしまう前に、皆さんの作品と振り返ってみます。
今年も入口右側の壁面に染裕展示させていただきました。

毎年、オープニングで皆さんとお会いできるのが楽しみです、
今年は展示作品数が多かったようですね。

猛暑の影響で作品制作が予定通り出来ず、
何名か欠席の方もいらして、また来年再会できるのを楽しみにしています。

毎年感じるんですが、会場に「多摩美の空気」が漂っています。
通常は全く違う空気の世界で暮らしているので、
「懐かしいな」って思いと
多摩美のスピリッツでも言うのかな?
尖った感性でザクザク切り込む、みたいな創作の刺激を受けます。

全部紹介できないのですが、いくつかの作品をピックアップしてご紹介


「記憶」深作洋子 エポキシ、彩色、漆

深作さん(高宮さん)いつもお世話になりありがとうございます。
表面に深みのある色合いが施されて、キレイに見える影の時間を狙ったのですが、
うまく写し込めなかったですね。フラットな写真ですみません。
今回、彫刻(立体作品)の写真は何枚も撮ったけど、
写真にするのが難しかったです。

夏の終わり 大岩新子 F20油彩

今の季節にぴったりですね。
当番の日、受付に座りながら、長い時間この絵を眺めていました。
右上のコスモスが一輪、空に向かってひらけたスペースが
謎解きのようでした。


girl in the gate 深作秀春 S10油彩

ムンクを思い出す、鮮やかで強いコントラストの色彩。

Woman in the ruin  深作秀春 F10油彩

「girl in the gate」「Woman in the ruin」
“ruin”って直訳すると“破滅”ですか?“荒れ果てた女性”?
こちらも謎解きのようです。

ロケット 宇野務 H17xW24ブロンズ・木

宇野さんにもいつもお世話になっています。
素材の組み合わせが美しいですね。
お話伺っていると様々な事に詳しくてびっくりします。

守刀(まもりがたな)大・小 中島勉 450x300x1150 ステンレス製 鍛造

昨年より長く、回転数が増えてます。
こちらも写真が難しかった。

美しい存在感があります。

心の炎(fire inside) 井上洋介
カシュー塗料 金泥雲母 215x215mm アルミ複合版
井上さんの新しいタイプですね、「炎」良いと思います。

つくり こわす#3 高梨麻世
SM 胡粉地、水彩、アクリル、ミツロウ等

ロウの層が独特の透明感になっています。

Mamma Collection 小渕俊夫

こちらの作品、会場で一番人が集まりました。皆さん様々な思いが膨らみ、
語り出すと止まりません(笑)

実際に持たせてもらったんですが、ずっしりと重みがあります。
こちらも写真が難しかった。実物の良さが写せない、、

煌めき VⅡ 君塚裕美
375×255 カルサイトを支持体とするミクストメディア

色使いが明るくなって、全体の印象が華やかになりましたよね。
画面はいろんな装飾が施され、見入ってしまいました。

Self-portrait 平田由布
455×380 キャンバス、油彩

平田さんの作品は布を用いた他に、この油彩も展示されていました。
色使いが布の作品とシンクロしてます、夢の中の風景のよう。

STEP 青戸英子
1600X900 ファイバー(綿・絹・化繊)

テキスタイル独特の優しい色合いですね。
毎年展示会はクライマックスシーズンで、青戸さんとはベイスターズの話題になるのですが、今年は8月の終わりで既に残念な感じですね。。。

美術家の肖像–吉川陽一郎(Date:2018/04/05)
東間嶺 A1 インクジェット

お客さんが「遠くから見ると違った絵画に見える」
と話していたのが印象的でした。

城核 001 矢成光生 920×1170
カシュー、油彩

黄色い絵の具が剥がれ落ちるような隙間から見える風景。
PM2.5や原発での空気汚染が街を覆うイメージらしいです。
眺めていると考えさせられます。

ARTWORK 1 依藤奈奈
F15 ACRYLIC ON FABRIC

写真では伝わりにくいのですが、布素材の透け感とか重なり感があって
浮いているような独特の空気感があります。

——————————
たぶん半分もご紹介できなかったですね、紹介出来なかった皆さんすみません。
(掲載の方もNGだったらご連絡くださいね、削除します)

今年も会場で印象的な出来事がありました。
入り口の受付で座っていたら、入ってきたお客さんの何人か、
染裕の前で足を止め見入って頂く瞬間に遭遇しました。

そんな時、製作者として何とお声かけすればいいのか、
いつも悩んでしまうのですが、基本的にはお声かけしないようにしています。
(自分が逆の立場だったら、目の前の作者より目の前の作品と会話したい)

口が動き出すと、自分でもそんな事言わなくてもいいのに、って
変なサービス精神で喋っちゃって、後から後悔することも多く、
難しいですね。
でも思うのは、「きっと伝わる人には伝わるんだなぁ」という事と
「言葉にして伝えてなんぼ」という相反する事です。

「熱の伝わり方」って、ケースバイケースでこれは場数踏んで磨き上げるしかないですね、大事なのは両方を持っているって事なのかな。
きっと一流と呼ばれる人は、アーティストであれ経営者であれ営業職であれ飲食店員であれ、磨き上げた嗅覚で対応するんだろうなぁ。

それと「戻りオオカミ」
このキーワードは昨年の展示会場でも話題にした記憶があるけど、
今年もお客さんとの会話で「戻りオオカミ」の話題になりました。
簡単に紹介すると「日本の文化が見直されて蘇る」という事なんだけど、
これは大きなテーマなので別の機会があれば、その時に。

来年は十分な準備をして新作展示したいです。
ご来場の方々、お買い上げいただいた方々、
お世話になった皆さん、ありがとうございました。

LINEで送る
Pocket

「琥珀の夢 下」を読んで

サントリー創業者・鳥井信治郎のはてなき情熱
「やってみなはれ」の精神で日本の洋酒文化に命を捧げた男。

集英社 伊集院 静 著
「琥珀の夢」夢中になって読みふけってしまいました。
忘備録として気になったところを書き留めておきます。

P30
信治郎は丁稚時代のことを思い出した。同業の店であれ、違う種類の店であれ、そこを訪ねた折は、客や荷の様子を必ず見てくるように教えられた。手代、中番頭が他の店の様子を話の中でやんわりと尋ねていた姿を何度も見ていた。船場の情報網の一面だった。

このフレーズで、いろんな事を思い出した…
まだ学生だった頃、日本各地の工房や職人さんに会いに行って、話を伺いました。実際に自分の目で見て聞く、その場の空気を感じる“嗅覚”みたいなもの。
聴きだす会話術みたいなもの。これって経験積まないと習得できない。

P31
「よう覚えてんな。ほんの少ししかここにいいへんかったのにあんたはんの頭はどないようできたかんのや。そうや、宇治の近在の生まれ育ちや。トメの家の者は先々代から店へ奉公に来てもろうとる。店が出す茶が美味いと評判でそれだけでお客さんが寄ってくれくれはる時もあった。トメの娘も店にいっときおって、嫁へ行き、あの子を産んだんや。あの子にお茶のいれ方を教えたんはトメのはずや。信治郎はん、人に働いてもらういうことは、そういうことや。店中で教えてもろうて、鍛え上げてもろうても、それだけやったら、ほんまもんの働き手にはなれへん、わかるか?」
「はあ……」
信治郎が儀助を見た。
「いっとう肝心なんは、ここや」と儀助が胸を叩いた。
「ここや。こころがまえや。お客はんに、毎日汗水流して働いとる奉公人に、美味しいお茶を入れて飲んでもらいたいと、三代の女子が懸命にやったら、そら美味いやろう。これがお茶と違うて、商いやったらどないなる?こない強い働き手はおらんで」

染裕は、いつも一人で制作しています。
意匠を考え、生地を選び、染めの材料を揃え、文様を描き、染めをし、洗いをし、ミシンでフダ付けし、アイロン掛けし、写真を撮り、Webに掲載し、展示会では接客し販売もする。
手伝ってもらう事もあるけど、基本一人です。
「人と共同で染めはできない」(染裕の染めたいものは)、という考えが中心だけど、鳥井信治郎の物語「琥珀の夢」のベースになっているひとつに、
「人に働いてもらう=人に愛される=近江商人三法よし」の考えがあり。
一人で出来ることには限界あり。

P106
先の見えないことを見据えることのできる独特の勘と能力を信治郎は持ち合わせていたのだろう。その証拠に、彼が商品化に取り組んだ前述の商品は、現在、どれも巨大市場となっている。

P107
明治40年8月、のちに“宣伝広告のサントリー”を呼ばれる寿屋洋酒店の第一号の広告が大阪朝日新聞に掲載された。

商品名、看板やラベルの色、キャッチコピー、全てにこだわり、まだ日本人に馴染みのなかった「ウイスキー」を世に広めるために宣伝広告にも力をいれた。
やっぱりサントリーの広告って独特で強いインパクト残しますよね。

P160
信治郎は神社仏閣があると、必ずそこを訪ねて挨拶し、御布施を惜しみなく献上した。“信治郎の走り参拝”と呼ばれて、新年には三ケ日で二十、三十の神社仏閣を回った。
「この水が寿屋にええウイスキーをこしらてさせてくれんのや。ありがたい水や。」
戦国時代、俳諧の祖と呼ばれた山崎宗鑑が暮らしたとも言われる妙善庵には、千利休が“待庵”という茶室を建てているほどたっだ。

染めも同じだ。
神様に祈り、水の持つ清らかなエネルギーと場所のエネルギー。
自分の気持ちの波を整えないと、いい染めができない。

P160
その額のホクロを、後年寿屋宣伝部に入社した作家の山口瞳が“ビューティフルポイント”と名付けた。

P172
「バッカスでっか?」
「そう、そのバッカスや。あっちには昔から大麦があった。日本には米があったさかい清酒がでけた。ウイスキーはそないなものと違うやろか。それに一番は熟成や。三年も五年も、十年も樽の中で寝かせたる。そん時、そのバッカスが何かしよるんやろ。そやさかい、おまはんも知ってるとおり、樽の中の酒がなんぼか減ってまうのを“神さんの分け前”言うやないか」

鳥井信治郎氏が
赤玉ポートワインやウイスキー、新しい商品や宣伝広告に注いだ“情熱”
シビれました。

LINEで送る
Pocket

「琥珀の夢 上」を読んで

サントリー創業者・鳥井信治郎のひたむきな日々。

P90
−この気力やな。これが大事なんやろ。
「薬いうもんは国を守ってんのや」
信治郎は儀助が自分に言っているのに気ついて、
「薬が、国を守っとんでっか」
と儀助の顔を見た。儀助は大きくうなずいた。
儀助が洩らした独り言のような言葉は決して大袈裟なものではなかった。
薬は人間が地球に登場し、動植物を食用として生きるうちに、経験によってその中に、薬用となるものがあることを古代人は識り、これを貯蔵し、保管し、いつ襲ってくるかもしれない病に備えたのだと推測される。

古事記、日本書紀によると日本の医療は高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)にはじまり、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が協力して天下を治め疫病を治療したという。以来、この二神が医療の始祖となった。
少彦名命が道修町で「神農さん」と呼ばれる少彦名神社に町の守り神として祀られているのも、この故事に由来している。ともに祀られている“神農”は古の中国の皇帝で、やはり薬の始祖のことだ。
日本書紀によると414年、朝鮮の新羅から医療、金武が朝貢大使としてやって来て、允恭(いんぎょう)天皇の病を治療し、さらに459年、同じ半島の高麗の医師、徳来(とくらい)が難波の地に住んで医療を開始し、“難波の医師”と呼ばれていた。554年には百済からの医師が採薬師とともに日本に来た事が記述してある。百済から来た医師も採薬師も半島から多くの薬物に関する書を携えてきたであろう。おそらくその薬物書も、元々は中国の漢方医療であったはずだ。すでに中国では『傷寒論』(しょうかんろん)『金匱要略』(きんきようりゃく)、薬書では『神農本草経』『神農本草経集注』など現代でも尊重されるほどの医薬学の書物がまとめられていた。
また日本書紀には“薬草は民を養う要物たる、厚く之を蓄うべし”とあるように、当時、国のトップの方針で薬物を尊重し、その技術を積極的に受け入れた。

藍染の原料となった植物も、元々は漢方薬として日本に持ち込まれたと言われています。
衣食住、「薬」と「染料」は、古来から密接な繋がりがあったんだろうなぁ。
実際に飲食しなくても、藍で染めた衣類は視覚や肌から染み込んで来るみたいに、感じるモノがある。

P201
「さあ、儲かるかどうかはわからん。それより大事なことは、ああやって、押し出せるか、押し出せへんかや。押し出したら何かが動き出しよるが、押し出せへんかったら、何も変わらへん。どんだけ大きな商いでも、どんだけちいさい商いでも、指を口にくわえてみとったらあかん。押し出せるかどうかが分かれ目や….」
「へぇ〜い」
「わてが言うたことが今はわからんでもええ。商いいうもんは、どないやり方をしようとも、皆同じようなことで、足元をただ踏んでまうときが来る。前へ進むも、うしろにさがってまうも商人の腹の決め方や…..」

物語の舞台は、明治から大正にかけての大阪道修町、博労町周辺。
丁稚奉公を通じて、後の商いの礎になる様々な事を吸収していく日々、
この時代に偶然にも松下幸之助との出会いもあり、
会話や出来事のどこまでがフィクションなんだろう。

実は染裕、はじめての社会人生活が南船場勤めだったので、
当時の、あの街周辺の空気が、イメージしやすいです。

P220
「信吉、おまえは神仏に参るのを誰に教わったんや」
「ヘぇ〜い。家のお母はん、いや母からだす」
「そいか。そらええお母はんや。親から教わったもんは人の一生の身につくよってにな。わしは祖父から習うて、それが身に付いたのを今は有難いと思うとる。人がでけることには限りがある。商いもそうや。けど世の中には他人がでけんことをやる者が、いつの世もおるんや。なぜ他人にできんことがそいつにでけたがわかるか?」
「いいえ」
「運気や。それを取りこぼさんように、こうして神仏にお願いするんや。運気は人一人の力ではどないもしようがない。神仏はわてらのやっとることを見てはる。助けてくれはるもんがあったら、頭を下げても連れて来てもらうんや。ええお母はんを持って、信吉、おまえは幸せ者や」

染めしてると、自分だけの力では無理だって、痛感しています。
まさに、染めの神様、水と光と風と、いろいな力に協力頂いて、味方になってもらわないと良い染めはできない。
人にできない染めをするっていう強い意思と精神力で運気を味方に、助けてもらわないと。。。
努力を惜しまないので、波に乗って、連れてってください、
そんな気持ちを持っていないと、良い染めができないと思う。

P306
「何百、何千と手を合わせたから、神さんがこれだけのことをしてくれるというのは間違うてま。神さんを大事にして、一生懸命働いとったら、それでええんだす。施しは目に見えんもんで、見えたら施しになりまへん」
(中略)
貧しい人に施しをした時、決してその人たちがお礼を言う姿を見てはいけない。それを見て満足するようなものは施しではない。“隠匿善事”の教えである。
(中略)
将校が口にした“NOBLESSE OBLIGE”とは元々フランス語で“高い身分に伴う義務”と訳されるが、財産、権力、地位のある人は社会の手本になり、率先して世の中のためになる行動をしなければならない。貴族制度の階級社会であるイギリス人がよく知る言葉だった。

たぶん、伝わる人には伝わるんだよね、
人だったら出会った瞬間の数秒、目を見れば伝わってしまうし、
染めたモノだったら、そのモノに宿るもの、同じような柄で同じように染めたって、宿ってないのって弱いんだよね。
(あっ、ちょっとこの引用とはズレちゃった、、、)

伊集院静 著
エッセイを数冊読んで、この方、豪快だなぁ。と思い
小説も読んでみたく、たまたま手にした本だけど、この物語、夢中にさせてくれます。

LINEで送る
Pocket

「浮世の画家」カズオ・イシグロ を読んで

「浮世の画家」カズオ・イシグロ
を読んで、気になった個所を忘備録的に残します。

小津映画を読んでいるようでもあり、
藤田嗣治の帰国時とも繋がっているようで、
自分の創作活動のコアなところにリンクして、
あいまいなモヤモヤが強く浮き出されたようです。

P221
あれを制作したころ、わたしは随分若かった。浮世の風俗を賛美出来なかったのは、その価値をまだどうしても信じる気になれなかったからだろう。若者はえてして快楽を罪悪視しがちだ。わしも例外ではなかったと思う。そんなところで時間を費やし、そんなにはかなくて、つかみどころのないものを美化するために才能や技術を用いるなんて、そんなことはすべて浪費であり、デカダン趣味とえ言えると、そう考えていたような気がする。ある世界の妥当性そのものに疑問をもっているあいだは、その世界の美しさを観賞することなど、とてもできない」

中略

P222
「きみたちは新世代の日本の美術家として、祖国の文化に対する重大な責任を担っている。わたしはきみたちのような青年を弟子に持ったことを誇りに思っている。わたしの絵はあまり褒めてもらえるような代物ではないが、将来わたしの生涯を振り返って、ここにいるみんなの画業を助け育てたことを思い出したならば、そう、そのときには、だれがなんと言おうと、わたしの人生を無駄に過ごしたとは決して思わないだろう」

P306
わが国は、過去にどんな過ちを犯したとしても、いまやあらゆる面でよりよい道を進む新たなチャンスを与えられているのだと思う。

LINEで送る
Pocket