「浮世の画家」カズオ・イシグロ を読んで

「浮世の画家」カズオ・イシグロ
を読んで、気になった個所を忘備録的に残します。

小津映画を読んでいるようでもあり、
藤田嗣治の帰国時とも繋がっているようで、
自分の創作活動のコアなところにリンクして、
あいまいなモヤモヤが強く浮き出されたようです。

P221
あれを制作したころ、わたしは随分若かった。浮世の風俗を賛美出来なかったのは、その価値をまだどうしても信じる気になれなかったからだろう。若者はえてして快楽を罪悪視しがちだ。わしも例外ではなかったと思う。そんなところで時間を費やし、そんなにはかなくて、つかみどころのないものを美化するために才能や技術を用いるなんて、そんなことはすべて浪費であり、デカダン趣味とえ言えると、そう考えていたような気がする。ある世界の妥当性そのものに疑問をもっているあいだは、その世界の美しさを観賞することなど、とてもできない」

中略

P222
「きみたちは新世代の日本の美術家として、祖国の文化に対する重大な責任を担っている。わたしはきみたちのような青年を弟子に持ったことを誇りに思っている。わたしの絵はあまり褒めてもらえるような代物ではないが、将来わたしの生涯を振り返って、ここにいるみんなの画業を助け育てたことを思い出したならば、そう、そのときには、だれがなんと言おうと、わたしの人生を無駄に過ごしたとは決して思わないだろう」

P306
わが国は、過去にどんな過ちを犯したとしても、いまやあらゆる面でよりよい道を進む新たなチャンスを与えられているのだと思う。

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