藍染ワークショップ開催_20180722

今年は毎日暑い日が続きますね(今日も暑かった。。)
今日は都内某所、某保育園にて藍染のワークショップを行いました。

最近、ワークショップは積極的に行なっていなかったのですが、
園長先生からご依頼頂き、保育園のお子さんと親御さん、保育園の先生方、
約40名とハンカチの絞り染を行いました。

こちらの保育園のみなさん、
Tシャツを染めたりしているらしく、染めの事をよくご存知!
バケツや洗いオケ等の道具も準備頂けたので、
段取りもよくスムーズに染めていただく事が出来ました。

簡単な輪ゴムと紐で絞って頂いたのですが、
やはり皆さんそれぞれの個性が染まって、面白いですね〜。
皆さんの全ての写真、撮れなくて残念でしたが、
ハートマークやボーダーなど、かなり凝った絞りにもチャレンジ頂いて、
きれいに染まったんですよ。いやいや、やっぱり藍染は楽しいですね。

濡れたままお持ち帰り頂いたので、ハンカチはご自宅で乾かしたら、
はじめの2〜3回は色落ちしやすいので白いものと一緒に洗わないように
お気をつけください。

藍について、色々とご質問いただいたので、
本日の体験染めで使った染料をご紹介しますね。
藍熊さんの「簡単インジゴピュアセット」

藍の体験染めワークショップなら、こちらがお手軽でおすすめです。
藍染って凝りだすと、何から何まで本当に大変なんですけど、
ワークショップは「染めを楽しむ」をキーワードに簡略化、
段取り準備をしっかりすれば、
こんな楽しいことはないですよね!
染め上がりを眺めてたら、見た目も涼しげですね。

保育園の先生方に準備と片付けをたくさんお手伝い頂き、
ほぼ予定通りで終わる事ができました(感謝です!)

今日ご参加頂いたみなさん、ありがとうございました。

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「JAPAN -indigo beautiful island-」染め上がる

ようやく染め上がりました。
Tシャツ、シャツ、ワンピースタイプの
「JAPAN -indigo beautiful island-」

フラッグシップの筒描を染めたのが、2016年の5月、
彫り途中で放置だった型紙を彫りあげたのが今年の1月、
糊置きして、彩色して、藍で染めて、、半年以上か。ようやく、完成です。

藍の色や型の図案などなど、ちょっと気になるとこもあるけど、
それらも味ってことで、これはこれで良しでしょ。と思ってます。
めちゃくちゃかっこいいじゃん(自己満足ですが。。)

これが生まれたきっかけは、もう何年前のことになるだろう、
アートスクール時代の友人ハッシーとハマスタでさんざん飲んで
レフトスタンドに吸い込まれるホームランを見たときに、
いろいろなシガラミが吹っ切れて、
ああ、今まで染めたことのない、アルファベットの文字が入る
新しい感覚を染めようって思ったのがキッカケ。

「スカジャン」っていろいろ説がありますが、染裕の理解だと
米軍の兵士が本国に帰る時、お土産として日本の国内風景等が刺繍され
横須賀のドブ板周辺で販売されたジャンパー。

日本人が着物から離れてしまった現在、
日本人のアイデンティティ要素が詰まっていると思うんです。
ただ、今のスカジャンって、ちょっとテイストが古めかしく「品がない感じ」の下品なヤンキーテイストになると、あぁこっちじゃないなぁ、と思ったり。

ハワイアンシャツと同じく、和柄との関連が深く、
これはモチーフとして取り上げたいと、スカジャンが生まれた背景をベースに
「藍色が美しい島国、日本」をテーマにシャツやワンピースに意匠をほどこしてみました。

型友禅の技法と筒描、絞りのミックスアレンジです。
今を生きる、ボニー&クラウドのハートを持った人に着て欲しい。

この数年、染めが出来ない日々が続いていましたが、
染めていない時も意識の中では染めをしていました。
この日々に読んだ本や音楽や、出会った人々。
多くのアドバイスを頂きありがとうございました。

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「浮世の画家」カズオ・イシグロ を読んで

「浮世の画家」カズオ・イシグロ
を読んで、気になった個所を忘備録的に残します。

小津映画を読んでいるようでもあり、
藤田嗣治の帰国時とも繋がっているようで、
自分の創作活動のコアなところにリンクして、
あいまいなモヤモヤが強く浮き出されたようです。

P221
あれを制作したころ、わたしは随分若かった。浮世の風俗を賛美出来なかったのは、その価値をまだどうしても信じる気になれなかったからだろう。若者はえてして快楽を罪悪視しがちだ。わしも例外ではなかったと思う。そんなところで時間を費やし、そんなにはかなくて、つかみどころのないものを美化するために才能や技術を用いるなんて、そんなことはすべて浪費であり、デカダン趣味とえ言えると、そう考えていたような気がする。ある世界の妥当性そのものに疑問をもっているあいだは、その世界の美しさを観賞することなど、とてもできない」

中略

P222
「きみたちは新世代の日本の美術家として、祖国の文化に対する重大な責任を担っている。わたしはきみたちのような青年を弟子に持ったことを誇りに思っている。わたしの絵はあまり褒めてもらえるような代物ではないが、将来わたしの生涯を振り返って、ここにいるみんなの画業を助け育てたことを思い出したならば、そう、そのときには、だれがなんと言おうと、わたしの人生を無駄に過ごしたとは決して思わないだろう」

P306
わが国は、過去にどんな過ちを犯したとしても、いまやあらゆる面でよりよい道を進む新たなチャンスを与えられているのだと思う。

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騎士団長殺し「第2部遷ろうメタファー編」を読んで

「騎士団長殺し 第2部遷ろうメタファー編」村上春樹著
春樹さんに夢中になっています。
また自分の忘備録で、ストーリーには触れずに気になったフレーズを書き留めておきます。

P23
「時間が奪っていくものもあれば、時間が与えてくれるものもある。時間を味方につける事が大事な仕事になる」

何か、キーワードになってましたね、この小説の。

P138
「スコットランドにいる知人がこのあいだ送ってくれた、ちょっと珍しいアイラ島のシングル・モルトがうちにあります。プリンス・オブ・ウェールズがその醸造所を訪ねたとき、自ら鎚をふるって栓を打ち込んだ樽からとったものです。もしよかったら今度お持ちします」

ウイスキーって美味しく飲めた記憶が、、あまりないんだけど、
「アイラ島のシングルモルト」調べて飲み比べてみようかな。

P141
「でもあなたには絵を描こうという意欲がある。それは生きる意欲と強く結びついているもののはずです」
「でもぼくはその前に乗り越えるべきものをまだきちんと乗り越えていないのかもしれない。そういう気がするんです」
「試練はいつか必ず訪れます」と免色は言った。「試練は人生の仕切り直しの好機なんです。きつければきついほど、それはあとになって役に立ちます」
「負けて、心が挫けてしまわなければ」

この一年程、今までにない試練が訪れ、染めが出来ない日々が続き、
根本から見つめ直す日々を過ごしていました。この文章にどれだけ救われたか、
もっとずっと時間が経てば、それが役に立つ日が来るのかな?

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騎士団長殺し「第1部顕れるイデア編」を読んで

「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」村上春樹著
前回に続き、春樹さんに夢中になっています。

ストーリーには触れず、自分が気になったフレーズを忘備録で残します

P159
「日本画を定義するのは、それほど簡単なことではありません。一般的には膠と顔料と箔などを主に用いた絵画であると捉えられています。そしてブラシではなく、筆や刷毛で描かれる。つまり日本画というのは、主に使用する画材によって定義される絵画である、ということになるかもしれません。もちろん古来の伝統的な技法を継承していることもあげられますが、アバンギャルドな技法を用いた日本画もたくさんありますし、色彩も新しい素材を取り入れたものが盛んに使用されています。つまりその定義はどんどん曖昧になってきているわけです。しかし雨田具彦さんの描いてきた絵に関して言えば、これはまったく古典的な、いわゆる日本画です。典型的な、と言ってもいいかもしれません。もちろんそのスタイルは紛れもなく彼独自のものですが、技法的に見ればということです。」
「つまり画材や技法による定義が曖昧になれば、あとに残るのはその精神性でしかない、ということになるのでしょうか?」
「そういうことになるのかもしれません。しかし日本画の精神性となると、誰にもそれほど簡単に定義はできないはずです。日本画というものの成り立ちがそもそも折衷的なものですから」

主人公は美大出身の肖像画家なので、絵画に関する事が出てくる場面が多いのですが、この“日本画について”のくだりは具体的に深く探求していて、夢中になってしまいました。これって、「日本画」を「藍染」に置き換えても同じように読み取れる部分が多いです。

P160
「十九世紀後半に明治維新があり、そのときに他の様々な西洋文化と共に、西洋絵画が日本人にどっと入ってきたわけですが、それまでは『日本画』というジャンルは事実上存在しませんでした。というか『日本画』という呼称さえ存在しませんでした。『日本』という国の名前がほとんど使われなかったのと同じようにです。外来の洋画が登場して、それに対抗するべきものとして、それと区別するべきものとしてそこに初めて『日本画』という概念が生まれたわけです。それまでにあった様々な絵画スタイルが『日本画』という新しい名のもとに便宜的に、意図的に一括りにされたわけです。もちろんそこ外されて衰退していったものもありました。たとえば水墨画のように。そして明治政府はその『日本画』なるものを、欧米文化と均衡をとるための日本のアイデンティティーとして、言うなれば『国民芸術」として確立し、育成しようとしました。要するに『和魂洋才』の和魂に相応するものとして。そしてそれまで屏風絵とか襖絵とか、あるいは食器の絵付けなどの生活デザイン、工芸デザインとされていたものが、額装されて美術展に出展されるようになりました。言い換えれば、暮らしの中の自然な画風であったものが、西洋的なシステムに合わせて、いわゆる『美術品』に格上げされていったわけです」
「岡倉天心やフェノロサが当時のそのような運動の中心になりました。これはその時代に急速に行われた日本文化の大がかりな再編成の、ひとつの目覚ましい成功例と考えられています。音楽や文学や思想の世界でも、それとだいたい似たような作業が行われました。当時の日本人はずいぶん忙しかったと思いますよ。短期間にやってのけなくてはならない大事な作業が山積みしていたわけですから。でも今から見ると、我々はかなり器用に巧妙にそれをやってのけたようです。西欧的な部分と非西欧的な部分の、融合と棲み分けがおおむね円滑に行われました。日本人というのはそのような作業にもともと向いていたのかもしれません。日本画というのは本来、定義があってないようなものです。それはあくまで漠然とした合意に基づく概念でしかない、と言っていいかもしれません。最初にきちんとした線引きがあったわけではなく、いわば外圧と内圧の接面として結果的にうまれたものです」

すごいな、この文章はそのまま「日本美術史概要」じゃないですか。しかも独自の解釈をこの小説用にかみ砕いている。

「固定された本来の枠組を持たないことが、日本画の強みともなり、また同時に弱みともなっている。そのように解釈してもいいのでしょうか?」
「そういうことになると思います」
「しかし我々はその絵をみて、だいたいの場合、ああ、これは日本画だなと自然に認識することができます。そうですね?」
「そうです。そこには明らかに固有の手法があります。傾向とかトーンというものがあります。そして暗黙の共通認識のようなものがあります。でもそれを言語的に定義するのは、時として困難なことになります」
免色はしばらく沈黙していた。そして言った。「もしその絵画が非西欧的なものであれば、それは日本画としての様式を有するということになるのでしょうか?」
「そうとはかぎらないでしょう」と私は答えた。
「非西欧的な様式を持つ洋画だって、原理的に存在するはずです」
「なるほど」と彼は言った。そして微かに首を傾げた。「しかしもしそれが日本画であるとすれば、そこには多かれ少なかれ、何かしらの非西欧的な様式が含まれている。そういうことは言えますか?」
私はそれについて考えてみた。「そう言われてみれば、たしかにそういう言い方も
できるかもしれませんね。あまりそんな風にかんがえたことはなかったけれど」
「自明ではあるが、その自明性を言語化するのはむずかしい」私は同意するように肯いた。
彼は一息置いて続けた。「考えてみれば、それは他者を前にした自己の定義と通じるところがあるかもしれませんね。自明ではあるが、その自明性を言語化するのはむずかしい。あなたがおっしゃったように、それは『外圧と内圧によって結果的に生じた接面』として捉えるしかないものなのかもしれません」

物語の中のある一部分でしかないのですが、
なんでこんな文章が描けるんだろう。
夢中になって読んでしまいますよ、ホントに。

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