「琥珀の夢 上」を読んで

サントリー創業者・鳥井信治郎のひたむきな日々。

P90
−この気力やな。これが大事なんやろ。
「薬いうもんは国を守ってんのや」
信治郎は儀助が自分に言っているのに気ついて、
「薬が、国を守っとんでっか」
と儀助の顔を見た。儀助は大きくうなずいた。
儀助が洩らした独り言のような言葉は決して大袈裟なものではなかった。
薬は人間が地球に登場し、動植物を食用として生きるうちに、経験によってその中に、薬用となるものがあることを古代人は識り、これを貯蔵し、保管し、いつ襲ってくるかもしれない病に備えたのだと推測される。

古事記、日本書紀によると日本の医療は高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)にはじまり、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が協力して天下を治め疫病を治療したという。以来、この二神が医療の始祖となった。
少彦名命が道修町で「神農さん」と呼ばれる少彦名神社に町の守り神として祀られているのも、この故事に由来している。ともに祀られている“神農”は古の中国の皇帝で、やはり薬の始祖のことだ。
日本書紀によると414年、朝鮮の新羅から医療、金武が朝貢大使としてやって来て、允恭(いんぎょう)天皇の病を治療し、さらに459年、同じ半島の高麗の医師、徳来(とくらい)が難波の地に住んで医療を開始し、“難波の医師”と呼ばれていた。554年には百済からの医師が採薬師とともに日本に来た事が記述してある。百済から来た医師も採薬師も半島から多くの薬物に関する書を携えてきたであろう。おそらくその薬物書も、元々は中国の漢方医療であったはずだ。すでに中国では『傷寒論』(しょうかんろん)『金匱要略』(きんきようりゃく)、薬書では『神農本草経』『神農本草経集注』など現代でも尊重されるほどの医薬学の書物がまとめられていた。
また日本書紀には“薬草は民を養う要物たる、厚く之を蓄うべし”とあるように、当時、国のトップの方針で薬物を尊重し、その技術を積極的に受け入れた。

藍染の原料となった植物も、元々は漢方薬として日本に持ち込まれたと言われています。
衣食住、「薬」と「染料」は、古来から密接な繋がりがあったんだろうなぁ。
実際に飲食しなくても、藍で染めた衣類は視覚や肌から染み込んで来るみたいに、感じるモノがある。

P201
「さあ、儲かるかどうかはわからん。それより大事なことは、ああやって、押し出せるか、押し出せへんかや。押し出したら何かが動き出しよるが、押し出せへんかったら、何も変わらへん。どんだけ大きな商いでも、どんだけちいさい商いでも、指を口にくわえてみとったらあかん。押し出せるかどうかが分かれ目や….」
「へぇ〜い」
「わてが言うたことが今はわからんでもええ。商いいうもんは、どないやり方をしようとも、皆同じようなことで、足元をただ踏んでまうときが来る。前へ進むも、うしろにさがってまうも商人の腹の決め方や…..」

物語の舞台は、明治から大正にかけての大阪道修町、博労町周辺。
丁稚奉公を通じて、後の商いの礎になる様々な事を吸収していく日々、
この時代に偶然にも松下幸之助との出会いもあり、
会話や出来事のどこまでがフィクションなんだろう。

実は染裕、はじめての社会人生活が南船場勤めだったので、
当時の、あの街周辺の空気が、イメージしやすいです。

P220
「信吉、おまえは神仏に参るのを誰に教わったんや」
「ヘぇ〜い。家のお母はん、いや母からだす」
「そいか。そらええお母はんや。親から教わったもんは人の一生の身につくよってにな。わしは祖父から習うて、それが身に付いたのを今は有難いと思うとる。人がでけることには限りがある。商いもそうや。けど世の中には他人がでけんことをやる者が、いつの世もおるんや。なぜ他人にできんことがそいつにでけたがわかるか?」
「いいえ」
「運気や。それを取りこぼさんように、こうして神仏にお願いするんや。運気は人一人の力ではどないもしようがない。神仏はわてらのやっとることを見てはる。助けてくれはるもんがあったら、頭を下げても連れて来てもらうんや。ええお母はんを持って、信吉、おまえは幸せ者や」

染めしてると、自分だけの力では無理だって、痛感しています。
まさに、染めの神様、水と光と風と、いろいな力に協力頂いて、味方になってもらわないと良い染めはできない。
人にできない染めをするっていう強い意思と精神力で運気を味方に、助けてもらわないと。。。
努力を惜しまないので、波に乗って、連れてってください、
そんな気持ちを持っていないと、良い染めができないと思う。

P306
「何百、何千と手を合わせたから、神さんがこれだけのことをしてくれるというのは間違うてま。神さんを大事にして、一生懸命働いとったら、それでええんだす。施しは目に見えんもんで、見えたら施しになりまへん」
(中略)
貧しい人に施しをした時、決してその人たちがお礼を言う姿を見てはいけない。それを見て満足するようなものは施しではない。“隠匿善事”の教えである。
(中略)
将校が口にした“NOBLESSE OBLIGE”とは元々フランス語で“高い身分に伴う義務”と訳されるが、財産、権力、地位のある人は社会の手本になり、率先して世の中のためになる行動をしなければならない。貴族制度の階級社会であるイギリス人がよく知る言葉だった。

たぶん、伝わる人には伝わるんだよね、
人だったら出会った瞬間の数秒、目を見れば伝わってしまうし、
染めたモノだったら、そのモノに宿るもの、同じような柄で同じように染めたって、宿ってないのって弱いんだよね。
(あっ、ちょっとこの引用とはズレちゃった、、、)

伊集院静 著
エッセイを数冊読んで、この方、豪快だなぁ。と思い
小説も読んでみたく、たまたま手にした本だけど、この物語、夢中にさせてくれます。

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