映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』について

 

個人的な備忘録です。
映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』

「オレたちは社会からはクズのように扱われていたし、見られてたけれども
 一般の社会というか、カタギの人たちの、この人たちの世界は何と偽りに満ち満ちた、、
 建て前というか、本心を知りたいっていうのがあるよね。そういうのが根底にあった。
 それと今まで溜め込んできた孤独感だとか、悲しみだとか、さみしさとか
 そういうものが怒りみたいなモノに変容を遂げていった。
 それが表現方法に現れたのかな、と。
 だからとことん相手を追い込んでいって、本心みせろっていう、、、」

「1秒間24コマの早さで流れるから止められてどうのこうの言っても話しにならない」

「ドキュメンタリーを追求して過激だった」

「社会との関係を絶って、自分対自分」

「見えない所で人間はつながれる」

「心をひらいて向き合った時に相手も心を開いてくれる」

「相手にココロを受け渡す大切さを学んだ」

~映画の中の監督や出演者のコメントより~
(聞き間違いあったらゴメンなさい)
 

この方、代々木忠さん、伝説のAV監督さんです。
何か、AVってイージーでマイナス感を感じてたけど
新聞で見かけて気になって、この映画を拝見。

ご本人の生い立ちから、氏の追求した表現方法、
個の抱える殻を破り、開放されていく自我。
あたりまえのように縛り付ける、嘘っぱちの世界(現実)
を人と人はどこまで開放/共有できるのか?
喜びに包まれる至福のエクスタシー

見る切り口で、いろんな言葉が響いてくる。
この感じは、、何だろう。。。

淡々と語る、パワフルな五木寛之みたいなルックスの
この監督の苦悩と愛のエネルギーは
裏の世界を表に引っ張り出した、、、コレってスゴい。。。

最近、個人的に考える事。
「戦争」と「エロス」
これって、創作活動する人にとって(自分にとって)
避けて通れない、大きな課題で、
その人にとって(自分にとって)その解釈が創作の
座標になる重要テーマの両極だと思ってます。

ちょっと、まだ言葉にならないけど
そんな事を感じました。

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