騎士団長殺し「第2部遷ろうメタファー編」を読んで

「騎士団長殺し 第2部遷ろうメタファー編」村上春樹著
春樹さんに夢中になっています。
また自分の忘備録で、ストーリーには触れずに気になったフレーズを書き留めておきます。

P23
「時間が奪っていくものもあれば、時間が与えてくれるものもある。時間を味方につける事が大事な仕事になる」

何か、キーワードになってましたね、この小説の。

P138
「スコットランドにいる知人がこのあいだ送ってくれた、ちょっと珍しいアイラ島のシングル・モルトがうちにあります。プリンス・オブ・ウェールズがその醸造所を訪ねたとき、自ら鎚をふるって栓を打ち込んだ樽からとったものです。もしよかったら今度お持ちします」

ウイスキーって美味しく飲めた記憶が、、あまりないんだけど、
「アイラ島のシングルモルト」調べて飲み比べてみようかな。

P141
「でもあなたには絵を描こうという意欲がある。それは生きる意欲と強く結びついているもののはずです」
「でもぼくはその前に乗り越えるべきものをまだきちんと乗り越えていないのかもしれない。そういう気がするんです」
「試練はいつか必ず訪れます」と免色は言った。「試練は人生の仕切り直しの好機なんです。きつければきついほど、それはあとになって役に立ちます」
「負けて、心が挫けてしまわなければ」

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騎士団長殺し「第1部顕れるイデア編」を読んで

「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」村上春樹著
前回に続き、春樹さんに夢中になっています。

ストーリーには触れず、自分が気になったフレーズを忘備録で残します

P159
「日本画を定義するのは、それほど簡単なことではありません。一般的には膠と顔料と箔などを主に用いた絵画であると捉えられています。そしてブラシではなく、筆や刷毛で描かれる。つまり日本画というのは、主に使用する画材によって定義される絵画である、ということになるかもしれません。もちろん古来の伝統的な技法を継承していることもあげられますが、アバンギャルドな技法を用いた日本画もたくさんありますし、色彩も新しい素材を取り入れたものが盛んに使用されています。つまりその定義はどんどん曖昧になってきているわけです。しかし雨田具彦さんの描いてきた絵に関して言えば、これはまったく古典的な、いわゆる日本画です。典型的な、と言ってもいいかもしれません。もちろんそのスタイルは紛れもなく彼独自のものですが、技法的に見ればということです。」
「つまり画材や技法による定義が曖昧になれば、あとに残るのはその精神性でしかない、ということになるのでしょうか?」
「そういうことになるのかもしれません。しかし日本画の精神性となると、誰にもそれほど簡単に定義はできないはずです。日本画というものの成り立ちがそもそも折衷的なものですから」

主人公は美大出身の肖像画家なので、絵画に関する事が出てくる場面が多いのですが、この“日本画について”のくだりは具体的に深く探求していて、夢中になってしまいました。これって、「日本画」を「藍染」に置き換えても同じように読み取れる部分が多いです。

P160
「十九世紀後半に明治維新があり、そのときに他の様々な西洋文化と共に、西洋絵画が日本人にどっと入ってきたわけですが、それまでは『日本画』というジャンルは事実上存在しませんでした。というか『日本画』という呼称さえ存在しませんでした。『日本』という国の名前がほとんど使われなかったのと同じようにです。外来の洋画が登場して、それに対抗するべきものとして、それと区別するべきものとしてそこに初めて『日本画』という概念が生まれたわけです。それまでにあった様々な絵画スタイルが『日本画』という新しい名のもとに便宜的に、意図的に一括りにされたわけです。もちろんそこ外されて衰退していったものもありました。たとえば水墨画のように。そして明治政府はその『日本画』なるものを、欧米文化と均衡をとるための日本のアイデンティティーとして、言うなれば『国民芸術」として確立し、育成しようとしました。要するに『和魂洋才』の和魂に相応するものとして。そしてそれまで屏風絵とか襖絵とか、あるいは食器の絵付けなどの生活デザイン、工芸デザインとされていたものが、額装されて美術展に出展されるようになりました。言い換えれば、暮らしの中の自然な画風であったものが、西洋的なシステムに合わせて、いわゆる『美術品』に格上げされていったわけです」
「岡倉天心やフェノロサが当時のそのような運動の中心になりました。これはその時代に急速に行われた日本文化の大がかりな再編成の、ひとつの目覚ましい成功例と考えられています。音楽や文学や思想の世界でも、それとだいたい似たような作業が行われました。当時の日本人はずいぶん忙しかったと思いますよ。短期間にやってのけなくてはならない大事な作業が山積みしていたわけですから。でも今から見ると、我々はかなり器用に巧妙にそれをやってのけたようです。西欧的な部分と非西欧的な部分の、融合と棲み分けがおおむね円滑に行われました。日本人というのはそのような作業にもともと向いていたのかもしれません。日本画というのは本来、定義があってないようなものです。それはあくまで漠然とした合意に基づく概念でしかない、と言っていいかもしれません。最初にきちんとした線引きがあったわけではなく、いわば外圧と内圧の接面として結果的にうまれたものです」

すごいな、この文章はそのまま「日本美術史概要」じゃないですか。しかも独自の解釈をこの小説用にかみ砕いている。

「固定された本来の枠組を持たないことが、日本画の強みともなり、また同時に弱みともなっている。そのように解釈してもいいのでしょうか?」
「そういうことになると思います」
「しかし我々はその絵をみて、だいたいの場合、ああ、これは日本画だなと自然に認識することができます。そうですね?」
「そうです。そこには明らかに固有の手法があります。傾向とかトーンというものがあります。そして暗黙の共通認識のようなものがあります。でもそれを言語的に定義するのは、時として困難なことになります」
免色はしばらく沈黙していた。そして言った。「もしその絵画が非西欧的なものであれば、それは日本画としての様式を有するということになるのでしょうか?」
「そうとはかぎらないでしょう」と私は答えた。
「非西欧的な様式を持つ洋画だって、原理的に存在するはずです」
「なるほど」と彼は言った。そして微かに首を傾げた。「しかしもしそれが日本画であるとすれば、そこには多かれ少なかれ、何かしらの非西欧的な様式が含まれている。そういうことは言えますか?」
私はそれについて考えてみた。「そう言われてみれば、たしかにそういう言い方も
できるかもしれませんね。あまりそんな風にかんがえたことはなかったけれど」
「自明ではあるが、その自明性を言語化するのはむずかしい」私は同意するように肯いた。
彼は一息置いて続けた。「考えてみれば、それは他者を前にした自己の定義と通じるところがあるかもしれませんね。自明ではあるが、その自明性を言語化するのはむずかしい。あなたがおっしゃったように、それは『外圧と内圧によって結果的に生じた接面』として捉えるしかないものなのかもしれません」

物語の中のある一部分でしかないのですが、
なんでこんな文章が描けるんだろう。
夢中になって読んでしまいますよ、ホントに。

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「1Q84」を読んで

本を読んでこんなに夢中になるのって、いつ以来だろう
村上春樹著「1Q84」
多くの読者がそうだったように、ここ数日、現実と物語の区別がつかなくなるくらいに夢中に読んでいました。何だろう、この中毒的な魅力は。

物語のストーリーには触れず、自分の忘備録で気になった部分を書き出しておきます。

BOOK2<7月―9月>

P36
「バーニー・ビガードは天才的な二塁手のように美しくプレイする」
「ソロも素敵だけど、彼の美質がもっともよくあらわれるのは人の裏にまわったときの演奏なの。すごくむずかしいことを、なんでもないことのようにやってのける。その真価は注意深いリスナーにしかわからない」
「ほら、よく聴いて。ます最初に、小さな子供が発するような、はっとする長い叫び声があるの。驚きだか、喜びのほとばしりだか、幸福の訴えだか。それが愉しい吐息になって、美しい水路をくねりながら進んでいった、どこか端正な人知れない場所に、さらりと吸い込まれていくの。ほらね。こんなわくわくさせられるソロは、彼以外の誰にも吹けない。ジミー・ヌーンも、シドニー・ベシエも、ピー・ウィーも、ベニー・グットマンも、みんな優れたクラリネット奏者だけど、こういった精緻な美術工芸品みたいなことはまずできない」

素敵な文章だなぁ、「天才的な二塁手のように美しくプレイする」と「美しい水路をくねりながら進んでいった~」のフレーズ。実際に音楽を聴いてみて、さらに納得しました。
春樹さんの文章の中には音楽や文学やいろんな要素が引用されるんだけど、そのチョイスと造詣深さと物語に何層にも奥行きを描き出していく描写が実に味わい深い。。。

こんどゆっくり調べてみたり、読んでみよう。途中で出てきたフレーズや曲、小説などなど

フレイザーの「金枝篇」
「シンフォニエッタ」ヤナーチェック
森鴎外「山椒大夫」
「平均律クラビィーア曲集」バッハ
「オッカムの剃刀」

P279 …一部抜粋「しかし歳月はすべての人間から少しずつ命を奪っていきます。人間は時期が来て死ぬのではありませんん。内側から徐々に死んでいき、やがて最終的な決済の日を迎えるのです。誰もそこから逃れることはできません。人は受け取ったものの代価を支払わなくてはなりません。私は今になってその真実を学んでいるだけです」

P297…一部抜粋「大事なものを手に入れるには、それなりの対価を人は支払わなくちゃならない。それが世界のルールだよ」

この年度末の時期に「1Q84」を読んで、何か新年度にむけてトンネルを潜り抜けていくような、
不思議な感じを味わいました。

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「デットエンドの思い出」よしもとばなな著を読む

デッドエンドの思い出 よしもとばなな著
2003年 文藝春秋

ばななさんの小説、なにか引き付けられるように
今週も「デットエンドの思い出」を読んでいました。

「あとがき」のP228にもあるように

この短編集はわたしにとって「どうして自分は今、自分のいちばん苦手でつらいことを書いているのだろう?」と思わせながらかいたものです。つらく切ないラブストーリーばかりです

5つの短編が集められた
どれもがどうしようもなく、悲しい物語。

「おかあさーん!」より P125
なんで、あの事件は起きたのだろうか、と私はよく思う。
今思うとあの日のことは全てがあっという間で、どうやっても止めることはできなかったように思う。
いつのまにか、魔法のようになりゆきが進んでしまった感じだった。それで、終わってみても大変だったのかそうでなかったのか、おかしな夢を見ていたようで、なんだかよくわからないままだ。

ここ数年の事を振り返ると
自分も大きなうねりの中で
染めが出来ない日々が続いていました。

どうしようもない時って
否応なしにやってきて
すごい存在感で身動きとれない
かなしばりのようで。

P127
そして、いつかの時に別れていった人たちのために祈りをささげる。
ほんとうは別のかたちでいっしょに過ごせたかもしれないのに、どうしてだかうまく行かなかった人たち。本当の父と母、昔の恋人、別れていった友達たち、もしかしたら、そこには山添さんとの縁も、含まれているかもしれない。
この世の中に、あの会いかたで出会ってしまったがゆえに、私とその人たちはどうやってもうまくいかなかった。
でもどこか遠くの、深い深い世界で、きっときれいな水辺のところで、私たちはほほえみあい、ただ優しくしあい、いい時間をすごしているに違いない、そういうふうに思うのだ。

不思議な事に
うまく行くときは、何かに導かれるようにグイグイ進むし
ダメなときは、どんだけもがいてもうまくいかないし
偶然に会える人もいるし、
なんとなく離れていって会えない人もいるし。

「デッドエンドの思い出」より P211
家族とか、仕事とか、友達だとか、婚約者とかなんとかいうものは、自分に眠るそうした恐ろしいほうの色彩から自分をまもるためにはりめぐらされた蜘蛛の巣のようなものなんだな、と思った。そのネットがたくさんあるほど、下に落ちなくてすむし、うまくすれば下があることなんて気づかないで一生を終えることだってできる。

「染める」という作業は
自分の気力と体力はもちろんの事
いろいろな人やモノに協力いただかないと出来ない作業で、
業が深い、とでもいうのかな
だから、ちゃんと認識しておかないと
染め上りに、いろんな雑念も入り込んでしまう

P213
よく昔、夜空を見上げながら、死ぬとかいきるとか、どういう人生を送りたいだとか、意味もなく大きなことをかんがえたものだった。星がきらきらして、夜空はどこまでも遠かった。あの時の風の冷たさだとか、茫洋と広がっていく未来だとか、ふるさとの町を覆う潮の香りだとか、あの感じが、私によみがえってきていた。

これってオザケンの歌の世界と同じだ
「ナーンにも見えない夜空仰向けで見てた そっと手をのばせば僕らは手をつなげたさけどそんな時はすぎて 大人になりずいぶん経つ」

P226
あの日々は、どうしようもない気持ちだった私に神様がふわっとかけてくれた毛布のように、たまたま訪れたものだった。

この感じって、先週読んだ「ハゴロモ」とシンクロしてる

何度かドラえもんの、のび太とドラえもんが
おやつのどら焼きを食べるシーンが紹介されます。
この時計とこのデザインって、イメージぴったりですね。

P227
きっとそれは私の心の中の宝箱のようなものにおさめられ、どういう設定でみたのか、どんな気持ちだったのかすっかり忘れ去られても、私が死ぬときに幸福の象徴としてきっときらきらと私を迎えに来る輝かしい光景のひとつになるだろう、と思った。

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「王国」よしもとばなな著を読む

王国 その1 アンドロメダハイツ
王国 その2 痛み、失われたものの影、そして魔法
よしもとばなな著 新潮社 2002年初版発行

図書館に行ったとき
なんとなく惹かれて借りた本
久しぶりにばななさんの世界に触れて
読み終わった余韻が気持ちよくて
こんなに寒い日がつづき
ちょっとカサカサのハートに
染み込んで来たフレーズを書き留めておきます

人里離れた山奥で
薬草茶を処方するように作ってきたおばあさんと
雫石という孫娘が、山から離れ
別々の生活で様々な人々と出会うストーリー。

タイトル見たとき、その2を読みたくて借りたけど
ほとんどがその1に詰まっていました

その1 P23
「神様が何かをしたくてもあっちには言葉がないから伝えられないでしょう?
だから私みたいな人が代理で働いているだけで、私が何かをしているわけではないんだよ。そしてすべての仕事は本来そういうものなんだよ。」

おばあさんのコトバ。

人がいるところには必ず、最低のものもあるけど
最高のものもある。

作中にはいろんな植物、特にサボテンが登場します
おじいちゃんの書斎で咲いていた「竜神木」
主人公の名前にもなった「雫石」
サボテン公園にも行ってみたくなる

その2

 P32
大きな、ほんとうの目で見れば自分のしたことは絶対に消せないし、今までしてきた仕事や生活の型は必ず体のまわりに残ってしまうものだから、やりなおすということは厳密にはとてもむずかしい。だからできればなにごとも慎重にやるべきなのだ。自分のまわりはこれまでしてきたことや失敗したことやごまかしてきたことが、ぼんやりと層を作ってその人の輪郭をぼやけさせたりする。

そして人間をじっと観察した結果、人間というものは浅い、痛みのない生活を求めながらも、深いところでそれにやっぱり抵抗するものだというように思えた。だからこそ、私はまた仙人めいた暮らしに戻ることもせず、友達や恋人のいるここにい続けることにしたのだろう。

P63
「そうやって扱われたものには、そういう荒っぽい色がついてしまう。そして、一回つくとなかなか取れなくなって、人のほうがそれに操られるまでに力を持ってしまう。はじめのところが肝心なんだよ。」

染裕もつくづく思っています
染める前に生地を大切に扱わないと、そこの記憶も一緒に染まってしまうって。
染の作業場って散らかっててお恥ずかしい状態なのですが
腕の良い職人は作業場が綺麗で動きが無駄なく美しいんです。。。
液や生地っていろんな事を記憶していくんです。

しばらくは、、、
染めをする前の準備だとか、作業場の片付けとか
自分の気持ちの整理が必要で
「染める」という行為から距離を置いてみようと思っています。

P127
きっと心の目で見れば、人間の世界はいつだってこんなふうなのだ。真っ暗な宇宙世界に、ものすごい数の人間の光がただよい、つながりあい、光っている。ここには生死の区別もなく、大地も空もない。時間というものも存在しない。でも光がある。そのくらいに人間の光は強いものなのだ。

なんとなく、の、感じを
言葉にすくいあげるばななさんの文章は
ストレートにしみ込んできました。

P128
ああ、なんと愛しいことだろう、それぞれ違っているからこそ。そして、私はこの人生でもっとたくさんの光たちとまた触れ合っていくのだ。生きているかぎり、出会いと別れは続く。会う人みんなをどこかしらでは知っている。

さらに漕ぎ出していけよ、私よ。新しい日常の中に、この小さな光をもって。

このタイミングでこの本に出会えた事を
本当にうれしく思いました。


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