雲龍さんの音の世界 の続き

週末のワークショップ用の
ローケツ染めのマニュアルつくろうかな~
と、いろんな資料をひっぱり出して眺めていたら
こんな時に限って前回のブログの続きが
書きたくなってしまって。。。

購入してきた雲龍さんのCDを
何人かに聞いてもらったんですね、
とても感動したライブだったんです
というコメントをつけながら。
(音楽を人に薦めるのは難しいですね。趣味の違いもあって。。)

ある人から、淋しいわね~
と言われ、それって音量が小さい?と訪ねたら
もっとドラムとか他の音がないと、淋しくない??
と言われまして。。。あ~。。。

先日、食品添加物の事を紹介して
それに慣れちゃうとそれが美味しくなっちゃうんだ~
と改めて認識したら、いろいろな見方が変わってきて
今回の音に関しても同じ事が言えるかも!って思ったんです。

今、身の周りにはいろんな音があって
携帯の着信、電化製品からの合図音や警告音
それは便利で快適な生活を支えてくれている
と思うんだけど、いつのまにか耳が慣らされてしまって。。

2~3年前から、民放FM放送が聞けなくなってしまって
国営のFM放送ばかり聞いてるんですね。
もうCMになると音量が大きくなったり
ハイテンションでいつも元気いっぱいのDJとか
新曲や流行曲ばかり流れる番組にうんざりしてしまって。

国営放送は民謡や浪曲、合唱とか
興味のないジャンルも多いけど、まだ「音楽」を聞いている感があって。
曲を最後まで流すし(フェードアウトされていきなりCMになるの嫌なんです)

「音」の添加物 という概念は存在しないかもしれないけど
自分にとって民放FM放送は音の添加物だらけ。。。
同じくテレビもあまり見ないんだけど、ラジオと同じかそれ以上。

ちょっと難しいけど、全部否定してる訳ではないですよ
コンピューターを駆使した音もポップで添加物に感じないものもあります。
(いやいや、添加物超えたケミカルな感じが心地いいのかな)

たぶん、いろんな音の中で暮らしていると
いつも聞いている「音」がいちばん心地よい「音」になってしまう?

雲龍さんの奏でる「音」は
現代人のいつも聞いている「音」の対極にあるような音で
耳で聞く、というより体の芯に響いて、
なにか遠い昔を思い出す感じなんですね。

だから、知人がいった「淋しくない?」という感覚は
現代人の「音」に慣れ過ぎてしまった、
耳からの発言じゃないのかな。。

たぶん今から何百年も前は
スピーカーもないし、電気製品もない。
音を奏でるものは、笛や太鼓
動物の鳴き声や木のさえずり、水や風の音。
雷の音なんてビックリしたんでしょうね。

味覚と同じで聴覚についても
麻痺してしまう前に
雲龍さんの音の世界を味わえて(生演奏を拝聴できて)
本当によかったと思います。

こんな事をつらつら書いていると
現代を否定している様だけど、全くそんな事もなくて
文明の利器はすごいな~なんて思いつつ
「Twitter」なんかもやってるんですよ。

あるミュージシャンのつぶやきなんですが
最近の音楽業界はCDの売り上げ不振に反比例して
ライブの入場者数が増えているらしくて
なるほどな~って思ったんです。
自分も昨年は買ったCDより見たライブの方が多いや。
生の音/演奏はやっぱり再生される音とは違うもんな。。
(ちなみにつぶやき主は高野寛さんです)

やばい。。

最近、評論癖みたいな自分に反省と
ワークショップの準備しなきゃ~。。

ろうけつ染めは、さかのぼれば正倉院です。
(あ~。。正倉院の時代の音はどんなだったんだろう。)

さて~、どこまで歴史や技法を紹介して
ワークショップを楽しんでもらおうかなぁ。
申し込みの皆様はお楽しみ!
(若干ですがまだ空きがありますよ)

準備がうまく出来たら
明日はロウケツの試作染めしてみます。
ブログでアップ出来るかな?
お楽しみにです。

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