実は昨年末、少しブログでも紹介していましたが、、
『藍染筒描唐獅子牡丹』を日本民芸館の新作工芸公募展に出品したのですが
空しく「選外」の通知を頂き、今日引き取ってきました。
実は今迄も、自分ではかなりの手応えを感じた筒描を
「****クラフト展」だとか「神奈川の県美展」に応募したのですが
悲しい結果に終わり、その度に二度と出品するものか、と落ち込んでいたのですが
新作が染めあがると、今回こそは!の繰り返しで
この民芸館の公募展ならば自分が目指して来た藍染、筒描を理解頂けるだろう、と
勝手な妄想をしていたのですが、またまた無念の思いを味わってしまいました。
やれやれ。。。です。
民芸館、、、というと。。。
創設された「柳宗悦」はもちろん、芹沢銈介の作品にも多大な影響を受け
出雲や倉敷、大阪の民芸館も見て回って来たので、自分なりに理解をしているつもりで
自分の制作する筒描を理解してくれるのは民芸館しかない、、くらいに思っていたので
今回の結果を本当に残念に感じています。
自分の活動記録として、今の思いを少しブログに残しておきたく思います。
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最近、特に思うのですが
今日の電車から町並みを見ていても、現代の日本の国には
鑑賞に堪えうる、庶民の美というものが、ほとんど欠如してしまっている様に思えて。
たぶん100年前のもの、建物も人も生活の中の道具も
ってほとんど無くなってしまって、戦争に負けて焼け野原になった日本は
大変な努力で今迄の経済発展を成し遂げたんだと思うけど、
「日本の美意識」みたいな物はことごとく忘れてしまったみたいで。。。
それは、たとえば着物であったり、言葉使いであったり、
木造の建築や生活の中にあった様々な道具であったりするんだけど。。
すごく注意深く探すと、自分の感性で見つけられるのは
「小津監督の作品」だったり、蕎麦屋の味だったり、昭和の歌謡曲の中に
日本の美意識のかけらみたいのを感じるんだけど。。。
その代表が藍染の筒描だと思っていて、コレ、日本人の庶民にとって
とっても大切な日常生活の美だと思うんです。(個人的な解釈ですが。。)
それが、現代では見る事も稀で
制作する人もいなくなっている。
藍染の筒描が今の状況になったのは
○必要とされなくなったから
○制作が困難だから
の理由なんだろうと思うけど、自分にとっては
どちらもNO!なんですね、絶対に日本人には筒描に描かれた
祈りと故事からの由来を持つ文様のエネルギーが必要で、生活を豊かにする
エキスの集約みたいなモノで、これは制作者の炎を消してはいけない、と思う。
この筒描、民芸館に認めて頂けなかったのは
本当に残念だけど、自分の中には反骨も生まれていて、、
いろんな価値観が変わっている現代、たぶんこれから
もっと急激なスピードで価値観が変化していく。
既に重鎮的な存在は信用してはいけない、
マイノリティーがメジャーを引っくり返す時が必ず来る。
民芸に対しても、当時の民芸と現代の民芸って
ちょっと違うニュアンスを感じていて、すごい決意になるけど
これからの創作活動は「民芸」に背を向けて、新しい創造を目指したい
(って、芹沢銈介を批判するつもりは全くありませんが。。)
なんて思いながらも、、制作の方向性を全く見失ってしまいました。
しばらくは、積極的な創作活動は中止します。
染めから離れて(染めを辞めるなんて絶対できないけど)
自分が何を染めたかったのか、時間をかけて考えてみます。
2002年に染裕スタート時に思い描いていた染めは、理想に近くなりましたが
認めてもらえないと、ただの個人的自己満足の様で。
当時目標に掲げた、10年後、2012年横浜美術館!も
夢で終わってしまいそう。。。。
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高校時代、太宰治に夢中になって
氏の作品を読みふけっていた時、どこかの資料館か文学館で
ある手紙を見た事があるんだけど、、
確か自分の作品を芥川賞に受賞させてください、と
太宰治が審査員だった川端康成宛に出した手紙で、
なんでこんな手紙を送ったんだろう。。と
当時は理解できなかったけど、、、、、、
今回の落選で、帰り道に
あの手紙を思い出しました。
例えが違うかもしれないけど、
創作ジャンルとスケールが違えど、
この気持ちは当事者でないと味わえない
無念の思い。。。。
日本人の美意識の変化ね。。
街の景観とか残念が沢山溢れているけれど、
人や周りはどうであれ自分基準で納得できる
状態を保っていけたらいいな、と思うんだ。
私はね子供時代が昭和でよかったとつくづく思う。
お時間があったら朱川湊人さんの「花まんま」
「あした咲く蕾」あたりを読んでみて。。
気持ちに色灯りがほわっとくるよ。
gaちゃんThanks!
こんなコメントしにくい投稿に
お言葉頂きありがとう。朱川湊人さん
すごい人気で予約待ちだけど
さっそく図書館予約入れました(^o^)
ありがとね