多摩美術大学染織デザイン科で染を教わった
堀友三郎先生が今年の七月七日九十歳で永眠されました。
御夫人より喪中のご挨拶とお手紙、画集をお送りいただきました。
私、師と仰ぐ存在をあえて持たないようにしていますが
堀先生からは、お言葉や作品や佇まいから
染めに対する姿勢を心の奥に染み込むように受けとりました。
思い起せば、在学中から何かと気に掛けて頂き
多摩美術大学を卒業してからも折に触れてはご連絡頂き
いつかのお約束が実現できず残念でなりません。
堀先生の思い出をいくつか書き留めたく思います。
・多摩美時代、デッサンの必要性を何度もおっしゃっていました。
 今、しみじみと実感します。基本はデッサンです。
・卒業制作を韓国の美大に展示し旅行した際
 乾燥するホテル室内は喉を痛めるとバスタブに湯を張って湿度を調整する知恵と
 寺院見学で階段を息を切らせ登った時に伺った、陸軍歩兵連隊時の体験談
 印象深く覚えています。僕らより健脚で大変お体丈夫でした。
・手描きネクタイをたくさん制作していた話
 自分も部屋中に藍染途中の手ぬぐいや靴下がぶら下がると
 堀先生もこんな感じだったのかなと思う事があります。
変な話かもしれませんが
時空を飛んで過去や未来や故人や未来人とコニュニケーションできるような
「イマジネーションは時空を超える」感覚になる事があって
ちょっと回りくどくなりましたが
堀先生、お亡くなりになっても会話が出来るような気がしてて
おお、スギト君か、しばらく会わなかったね
染めなさい励みなさいよ、デッサンが基本だからね。
そんな声が聞こえてきそうです。
教えて頂いた事を忘れず私も染めに取り組みます。
  
堀先生が絶筆となった「春宵」を染めていた頃
自分も「月のブルー」というのれんで
月を染めていた事を知り不思議なご縁を感じました。
 
堀友三郎先生のご冥福をお祈り致します。
 
 
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